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アドミラル・シェーア ( Admiral Scheer) はドイツ海軍のドイッチュラント級装甲艦の2番艦で、竣工時は装甲艦 (Panzerschiff) であったが後に重巡洋艦 (Schwerer Kreuzer) へ類別変更された。艦名は第一次世界大戦のドイツ大洋艦隊司令長官ラインハルト・シェアにちなむ。アドミラル・シェアやアドミラル・シェアーとも表記する。第二次世界大戦中にはテオドール・クランケ(:de:Theodor Krancke (Admiral))艦長の指揮下で通商破壊戦に従事し、最大の戦果をあげた水上艦艇であった。。なお、ドイツ語の発音に従えば本来はアトミラール・シェーアと表記すべきだが、日本では英語読みのアドミラルで呼ばれるのが一般的である。 == 艦歴 == 1931年にヴィルヘルムスハーフェンの造船所で起工された。ヴィルヘルム・マルシャルを艦長に迎え、1934年に就役した。 スペイン内戦時にスペインに在留するドイツ人を国外に避難させるため、最初の任務は1936年から始まり、1938年6月末までにシェーアは8回に渡ってスペインに派遣された。1936年7月23日にアドミラル・シェーアはドイッチュラントと共にスペインへ派遣され、フランシスコ・フランコの率いる反政府軍にドイツから武器を輸送する船舶を護衛した。また、国際臨検部隊として人民戦線政府側に補給品を供給しているソ連船を調査した。第4回目の派遣時、1937年5月29日、姉妹艦のドイッチュラントがイビサ島沖で人民戦線政府側の航空攻撃を受けて死者31名を出した。その報復として2日後の1937年5月31日にアドミラル・シェーアは人民戦線政府側の戦艦の停泊するアルメリア港を砲撃した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アドミラル・シェーア (装甲艦)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 German cruiser Admiral Scheer 」があります。 スポンサード リンク
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